2020年03月25日

旭屋書店の記憶


きっと地元の書店の多くが閉店してしまったことを思いながら眠ったせいだろう。
今はなき大阪梅田の旭屋書店で友達と待ち合わせた夢を見た。
気がつくと曾根崎警察署の横の階段を上っているところだった。
旭屋書店を目指して歩いているのだと、すぐに気がついた。
これが夢であることは分かっていた。懐かしさにひたりながら地上に出て、御堂筋沿いを南へ進む。
ほどなく旭屋書店の前に到着した。ガラス扉を押して、エスカレータで二階へ上がる。
当時、私が知る中で、ひとつのビル全体が書店になっているのは旭屋書店だけだった。友人と待ち合わせるときは、時間だけを決めておき、可能なかぎり早めに到着して、店内をふらふらしながら、どこかにいる友人を探すのが好きだった。(余談だが、ビルに入っている書店のかたちが「T」字型だったのは不思議だ。あの構造はちょっとしたミステリではないだろうか)
エスカレータで二階に上がり、左へ回り込むと、早川書房と東京創元社の棚がある。
あの頃、私はディクスン・カーのミステリに夢中になっていて、片っ端から読もうとしていたが、1980年代のカーは品切れになっている作品が結構多かった。
赤川次郎さんのエッセイ集で『喉切り隊長』が抜群に面白いと紹介されていて、ぜひ読んでみたいと思ったが、どこにもないのだった。代表作と言われる『プレーグ・コートの殺人』さえ品切れになっていた。どちらも駄目元で旭屋書店のカウンターで取り寄せを頼み、品切れですとキャンセルの電話をもらった。出版社にも在庫がないらしいと分かって、一生読めないかもしれない、と暗い気分になった。
現在、自室の本棚には、その2作を含めて大半のカーの作品が並んでいる。新訳も次々に出ている。いい時代になったと思うけど、カーのミステリに餓えていたあのときに読みたかったとも思う。
最後に、これを書くのはかなり恥ずかしいが、あの頃、私は書店に行くと、眼前の書棚に自分の小説が並んでいる光景をそっと想像してみることがあった。二十年以上のちに想像は現実になったが、最初の文庫本が出たときには梅田の旭屋書店は閉店していた。だからエスカレータを上がって左を向いたときに目に入るあの棚に、自分の本を見つけるという夢はついに叶わなかった。

posted by 沢村浩輔 at 13:54| 備忘録とかメモ