連れはおらず、一人旅だ。
車に乗り込み、鄙びた温泉旅館を目指す。
高速道路を降り、山道を走っていると、何度も〈蜂に注意!〉の立て看板を見かけた。どうやら蜂の多い土地らしい。しかし徒歩ならともかく、車に乗っていれば注意する必要はないだろう。むしろタヌキやイノシシが道路に飛び出してこないか、その方が心配だった。
温泉旅館は、古いがとても雰囲気のいい建物だった。女将の挨拶も快かった。何度も増改築を繰り返したと覚しき建物はどこか迷宮じみていて、ちょっと彷徨ってみたくなる。
部屋に案内され、仲居さんがお茶を淹れてくれる。私はふと思い出して、この辺りは蜂が多いのですか、と訊いてみた。
「さあ、そんなことはないと思いますが」と仲居さんが答えたので安心した。そりゃそうだ。蜂なんて日本中どこにでもいる。たとえ見かけても、こちらからちょっかいを出さない限り、襲われることはないだろう。
私はお茶を飲み終えると、浴衣に着替えて露天風呂へ向かった。雑木林の中に設けられた渡り廊下を進む。一応、周囲の木立ちを観察したが、蜂の姿はなかった。脱衣所で服を脱ぎ、熱い湯に肩まで浸かる。体が熱さに順応するのを待って、ゆっくりと手足を伸ばす。うーん、素晴らしい。
夕食の後でまた湯に浸かり、深夜にも露天風呂を堪能した。翌朝、満足して精算を済ませ駐車場に向かう。
駐車場にぽつんと駐められた私の車に異変が起こっていた。車内に大量の虫が飛び交っていたのだ。急ぎ足で車に近づいていくと、異変の詳細が明らかになった。スズメバチだ。数え切れないほどのスズメバチが私の車に入り込んでいた。
スズメバチは私に気づくと、威嚇するように動きに激しさを増し、窓ガラスにぶつかってきた。ガラスが小さくコツコツと音を立てた。
私は茫然として、車内を我が物顔で飛び交うスズメバチを見つめた。
なぜ車の中に大量のスズメバチが入り込んだのか、その理由はすぐに判明した。運転席の足元に大きな泥の固まりがあった。わずか一晩のうちに、スズメバチが私の車の中に巣をつくったのだ。まるで木下藤吉郎の墨俣一夜城のような鮮やかな手並みだ――などと感心している場合ではない。私はスズメバチに車を占拠されてしまったのだ。
もちろん、やるべきことは分かっている。車から蜂を一匹残らず追い出さない限り、私は家に帰ることができない。
しかし、どうやって?
最初に考えついたのは、旅館で殺虫剤を借りてきて、車のドアを細く開けてノズルを差し入れ、「忌々しい蜂どもめ、これでもくらえ!」と叫びつつ、殺虫剤を散布することだった。
これがいちばん妥当かつ確実な方法に思えた。しかし、と私は躊躇った。彼らが大人しく殺虫剤を浴びてくれるだろうか。蜂たちからみれば私は、彼らの大切な巣に近づいてきた敵なのだ。ドアの僅かな隙間から飛び出してきて、決死の覚悟で私を刺しまくるかもしれない。そんな危険を冒すわけにはいかなかった。
では、どうするか?
スマートフォンで検索したが徒労に終わった。スズメバチに遭遇した場合の対処法は、蜂を刺激せず速やかに逃げること――に尽きていた。車の中に巣を作られてしまった場合の処方箋は見つからなかった。たぶん、これは人類初のケースだ。参考になりそうな前例など世界のどこにも存在しないのだ。
私は頭を振り絞って考えた。まったくのゼロから答えを生み出すという至難の作業を、いま私は強いられていた。しかしいくら考えても苦境を脱する方法は思いつけなかった。
額や首筋にじんわりと汗が浮いてきた。最初のうち、この汗は苦境に陥ったせいで滲んだ脂汗だと思っていた。しかし、そうではなかった。暑さのせいだ。梅雨が明けて本格的な夏が始まっていたから暑いのは当然である。晴れ上がった空に太陽が輝いている。おそらく気温は三十度を超えているだろう。私はそっと車のボディに指で触れてみた。慌てて手を引っ込める。
私は車内の蜂たちの動きが、いつのまにか緩慢になっているのに気づいた。さっきまでこちらを威嚇するように狭い車内を飛び回っていたくせに、いまや飛んでいる蜂はごくわずかで、ほとんどの蜂は日射しが当たらない場所に集まってもそもそと動いている。
そういえば蜂は高温に弱いのではなかったか。以前テレビでミツバチの巣を襲ったスズメバチが、羽ばたきで体温を上げたミツバチに取り囲まれ、〈蒸し焼き状態〉にされて命を落とす映像を見た記憶がある。いや、体温ではなく羽ばたきで熱した風を送り込むのだったか。まあ、どちらでもいい。
とすれば――。私の予想を裏付けるように、スズメバチがぽとりとシートの座面に落ちた。息も絶え絶えの様子だ。一匹、また一匹と力尽きた蜂が落下していく。
それから十分と経たぬ間に、すべての蜂がダッシュボードやシートの座面や床の上に転がって動かなくなった。
勝負はついた。私は「戦わずして勝つ」というあらゆる戦闘の中でもっとも高度な勝ち方をしたのだ。とはいえ達成感はまったくない。ただ、ほっとしただけだ。
そのとき駐車場の入り口から女将が歩いてきた。和服姿で手に小さなスコップと紙袋を持っていた。
「これをお使い下さい」と女将はスコップと紙袋を私に差し出した。私は頷くと、蜂の死骸をスコップですくって紙袋に入れた。それから運転席の床につくられたサッカーボールほどの大きさの巣を砕いて、そのかけらも紙袋に入れた。
「ありがとう。助かりました」私は紙袋の口を二度折ると、女将に渡した。
「ときどき、こういうことがあるんです」女将が呟いて紙袋をそっと揺すった。かさり、と袋に詰まった敗残の兵たちが渇いた音を立てた。
話は以上です。……まあ、夢ですから。オチもないし、とりとめがないのはご容赦ください。
聞くところによると、夢というのは、その日に脳内に取り込んだ大量の情報を、眠っているあいだに取捨選択し、整理する過程で起こる現象らしい。
しかし私は今年になってから、一度も温泉に行ってないし、もう何年もスズメバチに遭遇していない。
それなのに、なぜこんな夢を見たのだろうか。
私の仮説は、脳はその日に仕入れた新しい情報だけでなく、保管していた古い情報も、ときどき棚卸を行って整理しているのではないか、というものだ。〈夏の温泉〉や〈スズメバチ〉は、仕入れた時点では脳内に残しておく判断をしたのだが、その後一度も使っていないし、もう要らないんじゃないか、という結論を私の脳が下したのだ。そしてデーターベースから消去する際に、夢の中に現れたのではあるまいか。
この理屈が当たっていれば、もう〈温泉宿とスズメバチ〉の夢は見ないはずだが、こうしてブログに書いたために、今日ふたたび情報を脳に入力してしまったことになる。
だとすれば、いつかこの夢の続きを見るかもしれない。
できることなら、もっと愉快な夢を見たいものだ。
【備忘録とかメモの最新記事】