冒頭の、主人公が蜃気楼について語る場面が好きで、読むといつも、昔、富山に旅行したときのことを思い出します。
富山に行ったのは蜃気楼シーズンの春だったので、内心期待したのですが、残念ながら見ることはできませんでした。
実は見えなかったのも当然で、蜃気楼のスポットは魚津なのに、私は何を勘違いしたのか氷見海岸に立って海を眺め、「見えないなあ。曇りだからかな?」などと首をかしげていました。
蜃気楼は対岸の景色が拡大したり反転して海上に浮かび上がる現象です。氷見海岸の彼方に対岸はありません。いくら眺めても蜃気楼が現れるはずがなかったのです。
まだ間違いに気づいていなかった私は、カメラを海に向けて何度もシャッターを押しました。後で写真を見返すと蜃気楼が写っていたら面白いのに、などと考えながら。
(もちろん、そんな不思議なことは起こりませんでした。生まれてから今まで、一度も不思議な体験をしたことはないんです)
聞いた話では、まれに、蜃気楼の中に人の姿が見えることがあるとか。
それはぜひ見てみたいな、と想像が膨らみます。
蜃気楼の中に、私の知っている人がいたら、不思議だろうなあ。
でも、その人がずっと前に亡くなった人だったら、ちょっと怖いだろうなあ。
もしも、蜃気楼の中の死んだはずの知人が、ふと視線を感じたように、こちらを振り向いたら?
そして目が合った瞬間、手を上げて、おいでおいでをしたら……。
その夜は部屋の明かりを点けたまま眠るかもしれない。
いつか蜃気楼を見てみたい。今度はちゃんと魚津に行って。
【備忘録とかメモの最新記事】