2021年06月10日

暑くて寝苦しいので、少しひんやりする話題を


最初にことわっておくと、私はこれまで一度も幽霊を見たことがなく、超自然的な現象を体験したこともない。
この世に幽霊や怪異は存在せず、人が死ねば生前の意識や記憶は消えてしまうと思っている。
これまでの経験に照らし合わせると、超自然的なものは存在しないという結論になるし、その結論に納得もしている。
しかし、そうなると不思議なことがひとつある。
私がなぜ〈怖がり〉なのか、説明がつかなくなるのだ。
幽霊なんて信じていないくせに、私は心霊スポットのような場所には絶対に近寄らない。恐いからである。
矛盾している、と思う。
たとえば、子供の頃に墓地で恐ろしい化け物に遭遇し、それ以来、夜の墓地が恐くてたまらない、というなら話の筋は通る。
だけど私は恐い目に遭ったことがないのである。
それなのに、なぜか恐怖心をたっぷりと持っている。
そのことが昔から不思議だった。
不思議なので、たまに理由を考えてみたりする。
すぐに思いつくのは、「口では幽霊なんかいないと強がっているが、実は心の底では信じているんだろう説」だ。
たしかにその可能性は否定できない。そう考えれば諸々のことに説明もつく。だが、どうも気に入らない。あまりに凡庸な結論だからだ。自分がそこまで単純だとは認めたくないではないか。
そこで他の可能性も探ってみた。
そして思いついたのが、
「霊的な刺激を何度も受けていると、幽霊を見る能力が開花するのではないか説」だ。
毎年ずっと花粉に晒されていると、いつか花粉症になってしまう。その心霊バージョンとでもいうべき現象が存在するのではあるまいか。
幽霊が近くにいると、何かの気配を感じることがある(らしい)が、言い方を変えれば、その人の〈霊感センサー〉が発動するわけだ。何度もセンサーを作動させていると、反復練習によって少しずつセンサーの性能が上がっていく。そして性能が一定のレベルに達すると、ある日突然、幽霊が見えるようになる。
望んだわけでもないのに、幽霊を見る能力を獲得してしまうのだ。
問題は、この変化が不可逆的だと思われる点だ。自転車の乗り方を覚えた者が生涯乗り方を忘れないように、うっかり幽霊が見えるようになったが最後、二度と幽霊が見えなかった安寧な日々を取り戻すことはできない。
私は自分の中の霊的な能力が発現する可能性を恐れているのかもしれない。

posted by 沢村浩輔 at 02:43| 備忘録とかメモ