なんだか夢の話ばかり書いている気もしますが……。
ときどき、夢とは自分の無意識が仕組んだ目覚まし時計なのではないか、と思うことがある。
たとえば、こんな夢を見たときに。
時代設定は、たぶん江戸時代辺り。
場所は自分の家と覚しき町屋だ。
私は縁側に座って、足をぶらぶらさせながら、殺風景な庭を眺めている。
先程から誰かが歌う〈かごめかごめ〉が聞こえてくる。
隣家との板塀の向こうで、女の子が手毬をつきながら歌っているのだ。
しばらくぼんやりと聞いているうちに、私はかすかな違和感を覚え始める。
かごめかごめって手毬唄だっけ?
違うような気がするのだが、よく思い出せない。
子供の頃、自分もこの歌で遊んだことがあるはずなのに、その情景がなかなか浮かんでこない。
たしか、手を繋いだ子供たちが向かい合わせになって歌う遊びだっけか……いや、それは花いちもんめだ。
ああ、そうだ、と夢の中の私はようやく思い出す。
両手で目隠しをしてしゃがんだ子供の周りを、みんなが手を繋いでぐるぐる回りながら、この歌を歌うのだ。
歌い終わると同時に子供たちは足を止める。目隠しをしている子供――その子は鬼と呼ばれる――は、自分の真後ろにいる子供の名前を言う。
見事に言い当てたら、今度は当てられた子が鬼になる。
そういう遊びだった。
しかし、板塀の向こうで、そういう遊びが行われている気配はない。
歌っている少女一人しかいないような気がする。
あるいは少女は子守をしていて、背中の赤ん坊をあやすために歌っているのかもしれない。
少女の歌声は優しい響きだった。鞠をつくトントンという音も同じくらい優しい。だから子守をしているのかな、と連想したのだろう。
だが、かごめかごめは、赤ん坊をあやすのにあまり相応しくない。
もうひとつ不思議なことに気づく。
かごめかごめは短い歌である。
ゆっくり歌っても、すぐに終わってしまう。
それなのに、私は少女が歌うかごめかごめを、もうずいぶん長い時間聞いている気がしてならなかった。
最後まで歌い終わって、もう一度始めから歌う、というのではない。
私は縁側で物思いに耽りながら、ぼんやりとカゴメ歌を聞いている。
ふと我に返ったとき、聞こえてくるのは、いつも「かーごーめ、かごめ」とか「いついつでーやーる」とか「よーあーけのばんに」であって、まだ一度も「うしろのしょうめん、だーれ?」という、最後の歌詞を耳にしていない。
ほら、今も少女は「いついつでーやーる」と歌っている。そこはさっきも聞いた。いや、もう何度も聞いている。
もちろん、私が考え事をしているあいだに歌が終わり、また繰り返しているのかもしれない。
だが、そうでない気がした。まだ少女は一度も最後まで歌い終えていないのだ。
何故なのだろうか。
考えれば考えるほど不思議だった。
私は好奇心を抑えきれなくなり、草履に足を入れ、庭を横切って板塀のところに行った。
粗末な板塀には、あちこちに隙間が空いていた。
ちょうど目の高さにあった隙間に顔を押し当て、私は向こう側を覗いてみた。
板塀の向こうも、どこかの屋敷の裏庭のようだった。
庭の真ん中に一人の少女が立っていた。
こちらに背を向けているので顔は分からないが、背格好から、おそらく私と同じ年頃だと思われた。
格子柄の着物は乾いた土の色、帯は湿った土の色だった。
少女は右手でゆっくりと、白と藍と草色の糸で編まれた鞠をついている。
だらりと下げた左手の指と素足のかかとが、あかぎれで痛々しくひび割れていた。
「かーごめ、かごめ」と少女が歌い出した。
歌に合わせて、鞠が少女の手と地面のあいだを弾む。
「かーごのなーかのとーりーは」
少女の周囲には千切れた草花が散乱していた。彼女がついた鞠が、薄紅色の花を何度も押しつぶし、泥だらけの花びらが鞠に貼りつく。
「いついつでーやーる」
少女は少し俯いたまま歌った。どこかもの悲しい声だ。
ふいに私はどきりとした。彼女は、かごめかごめを私に向けて歌っているのではないか、と思ったのだ。
「よーあーけーのばんに」
そうに違いないと確信する。
何故なら私が彼女の後ろにいるからだ。文字通り、後ろの正面だ。
だとしたら……。
「つーるとかーめがすーべった」
この歌が終わったとき、少女は、私の名前を言うだろう。
もし名前を当てられたら、どうなる?
全身がすうっと冷えていく。
決まっている。次は私が鬼になるのだ。
「うしろのしょうめん、だーれ?」
そこで目が覚めた。
たちまち夢は彼方に遠ざかり、現実が私を包み込む。
とりあえずキッチンに行き、熱いお茶を淹れた。
お茶を飲みながら、ぼんやりと想像してみる。
あと数秒、目覚めるのが遅ければ、私は夢から覚めることはなかったかもしれない、と。
今度は私があの裏庭に立ち、背後の板塀から誰かが覗くまで、何年も何十年も、わらべうたを歌い続けることになったかもしれない、と。
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