2023年09月07日
2023年08月17日
〈写真写り〉について
世の中には〈写真写り〉が良い人と、そうでない人が存在する。
実に遺憾なことだが、私は後者に属している。
私は今から〈写真写り〉なる事象について、思うところを書いてみるつもりだ。
だが、その前にまず、「写真写りとは何か」を確認しておく。
広辞苑によると――
【写真写り】写真に写ったときの容姿、様子。「―がいい」
なるほど。反論の余地のない、的確な説明である。
私が思うに、写真写りとは常在性の能力(?)だ。
写真写りがいい人は、全ての写真でよく写るし、そうでない人は、全ての写真が残念な結果になる。
その証拠に、〈写真写りが悪い派〉に属する私は、修学旅行の集合写真、履歴書、運転免許証、パスポート、最近のマイナンバーカードまで、すべて連戦連敗である。
もし世の中に呪いなるものが存在するとしたら、これも呪いのひとつだと断じていいかもしれない。
……いや、少し言い過ぎた。話を戻そう。
とりあえず、写真写りについて考えるにあたり、考慮すべき要素を整理してみた。
撮る人と、撮られる人、そして撮影機材。
この3つのうちに、原因が存在するはずだ。
最初に〈撮る人〉について考えてみたい。
撮影者の腕の良し悪しが、写真写りを決定するのではないか。
私とプロのカメラマンが同じ被写体を撮影したら、どちらが魅力的な写真を撮ることができるかは言うまでもない。
プロのカメラマンが撮った写真は、デフォルトで〈写真写りが良い〉。
料理でも、風景でも、モノでも、そして人でも。
撮影者の技量が、写真写りの成否を決定する。
この仮説は納得しやすい。
だが、他の被写体はともかく、人物写真に限れば事態はそう簡単ではない。
その証拠が、街角や駅構内などに設置されている証明写真機だ。
私も何度か利用したことがあるが、撮影を終えて、写真取り出し口に、ぽんと落ちてきた写真を見た瞬間、いつも、「……そうか、こうなったか」と心の内で呟く。
お、けっこう上手く撮れたじゃないか、と思ったことは一度もない。
ところが、写真写りの良い人が証明写真機で撮った写真は、なぜか毎度いい感じに撮れている。
考えてみると、不思議な話だ。
撮影者(いや、機械か)の技量は同じである。
しかも人間と違って、被写体が気に入ったから熱を込めて撮るとか、日によってモチベーションが高かったり低かったりするムラもない。
撮影側の腕前と機材は常に一定だ。
にもかかわらず、写真の出来映えに差が生じるのは、いかなるわけであろうか。
撮影者ではなく、機材でもないとすれば、原因は被写体ということになる。
ところで今さら気になったのだが、この写真写りという事象は、人間にしか発生しないのだろうか?
たとえば猫は?
ネット上に無数に存在する猫の写真を見ると、どの猫もほぼ例外なく、優雅で魅力的に写っている。
調べたわけではないが、おそらく犬や、その他の動物たちもそうだろう。
魚類や爬虫類や昆虫類になると、そもそも写真写り以前に、個体識別自体が困難になってくる。
人間に近いとされる、ニホンザルやゴリラやチンパンジーはどうなのだろう? そういう研究をした人はいるのだろうか。
ともあれ、現時点では我々ホモ・サピエンスだけが、〈写真写り〉なる不可解な現象に悩まされていると結論していいだろう。
もし人間だけに写真写りの問題が生じるのなら、人間固有の特性が原因になっているはずである。
では、その原因は何か?
想像を逞しくすれば、人類が高度な社会を形成したためではないだろうか。
人間は複雑な社会を営むために、ひとりひとりの顔立ちに細かな差異をつくり、個人を容易に認識できるように進化してきた。
容姿に無数のバリエーションをつくる過程で、偶然に写真写りの悪い顔立ちというものが生まれてしまったのかもしれない。
だとすれば、写真写りの悪さを生み出す原因は、人の顔の造形の中に潜んでいることになる。
それは遙かな昔、数千年前か数万年前かは分からないが、人間の顔に起こった変化なのだろう。
しかし、その変化は気が遠くなる年月を経た後にカメラが発明され、人の顔が写真に残せるようになるまで顕在化しなかったのだ。
うーむ、書き始めたときには、こんな結論になるとは思わなかった。
そして、さらに想像を膨らませれば、現在、再び人類の顔にささやかな変化が起こっているのかもしれない。
実際、今の若い世代の人たちは、年上世代の我々と比べると、写真写りの悪い人が少なくなっている気がするのだ。
人類の進化の過程で生じた小さなバグが、令和の世に秘かに修正されつつあるとしたら?
そんな風に妄想してみると、ちょっと面白い。
あと何十年か経てば、写真写りに悩む人はいなくなっているかもしれない。
ならば、私やあなたは、貴重な絶滅危惧種である。
もしかすると、あなたが人類最後の〈写真写りが悪い人〉の可能性だってある。
そうだとしても、あまり嬉しくはないと思うが。
posted by 沢村浩輔 at 23:29| 備忘録とかメモ